少し前、母が新しいカメラを買いたいのだが、と相談してきた。
母は花のめしべとかにだけピントがきて、あとはボケているような写真が
撮りたいのだといって、どんなカメラなら撮れるのか?と聞いてきた。
彼が写真に詳しいので、どんなカメラがいいとか、どのレンズがいいのかと
あれこれ母はレクチャーを受けていた。
あたまにはいくつもの「?」が浮いていたように見受けられたが、
数日後、カメラを買ったといくつかの写真と共に報告をしてきた。
マクロレンズも追加で買ったとのこと。
その話を彼にすると、
お母さんは普通の主婦なのに、どんな写真が撮りたいかというイメージがあってすごいね。と言っていた。
確かにそうである。
私はなんだかその欲求は母らしいので普通に受け流していたが、
改めて考えてみれば、少し珍しいことなのかもしれない。
ただ、記録の為に写真を撮るのではなくて、母は写真という道具を使って
表現しているのだなぁと気づく。
祖父は8mmカメラで、祖母は一眼レフで撮影をしていたのを思い出した。
これは血か。。と思えば、
私も先日コンパクトのフィルムカメラを購入しホクホクしていたではないか。
これはもう羽浪の血としか言いようが無い。
3枚の写真はニューカマーのCONTAX T3で撮った道ばたの草花。
いやはや、私も母同様、草花ばかり撮っているではないか。。