花を育てていて思うことは、私たちは花を咲かせ、
それを眺めることを大方の目的として育てています。
しかし草花自身は花を咲かせることは
子孫を残す、種子をつくる為の手段であり、
最終的な目的ではないのです。
枯れるという現象は私たち人間にとって
老いや衰え、さらには死のようなネガティブな出来事のように感じられます。
しかし、草花にとって枯れることは咲くことと等しいのだと気付きました。
むかし村上春樹の本のなかで
『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。』
と記述していたが、当時高校生であった私は言葉の意味は理解出来ても
それを実感や自分の言葉に置き換えることができなかった。
いまでもそれが理解出来ているとは言いがたいが、
ベランダで枯れた花を手で摘んでいる時
なんだかふっとその言葉の意味は少しばかり分かった気がしたのです。
人間が当たり前に持つ価値観でものをとらえることは
世の中をものすごく狭いものにしてしまう気がしました。
もしも、もしもと自分の姿を花や鳥、風、月へとかえて
身の回りを見渡したとき、
世界は少しずつかたちをかえるのかもしれません。
わたしは今日、花になったつもりで死を見つめました。
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